苦しみの捉え方

人生は苦しい。

お釈迦様も「一切皆空」と言っている。
一切皆空とは、そもそもこの世の中は自分の思い通りにならないことばかりで苦しい。と言う意味。
ポイントは自分の思い通りにある。

お金持ちになりたい。
有名になりたい。
あの人付き合いたい。

自分が思っても叶わない事だらけだ。
しかも、本心ではそう思ってない事がほとんど。

ただ漠然と他人を羨み、いいなと思う。
なんとなくいいなと思った事と現状の自分を比較して、勝手に苦しんでいる。
もちろん本心で思っている事は夢となり、叶う事もある。

望まなければ苦しい事なんてない。
それでも人は多くを望む。

だからこそ、次から次へと立ちはだかる「苦」とどう向き合うかが重要になって来る。

「苦」をどう捉えるか。

「苦」を受け入れるか、受け流すか。

僕は「苦」がずっと見えなかった。
見えないから辛かったわけじゃない、ちゃんと苦しい。

それでも何度か「苦」のデッドボールを受け続ける事で、次第に見えてきた。

「苦」のボールは人によって見えたり見えなかったりする。当たったり当たらなかったりもする。

1番辛いのは、見えすぎて当たりすぎる人。

つまり「苦」のボールは人によって違う。

苦は捉え方によって変わる。

例えば、
「身長が大きいですね!」と言われた時にどう捉えるか。
これはただの言葉だけど、人によっては「苦」のボールになる。
昔から身長が大きい事がコンプレックスで身長の事を言われる度に苦しみを感じる人もいる。
ただ、世間一般的には「身長が大きいですね!」は褒め言葉だ。
そして、身長が高い事は良い事だ。
逆に身長が低い事も良い事だ。
どちらも良い。

自分に無いものを欲しがり、勝手に苦を感じているだけなのだ。
お金も同じ。
今あるお金でどう楽しむかを考えれば良い。

苦は、成長の促進剤にもなる。
苦は、一つの気づきだ。

苦しいと感じたら、自分の何かの信号を出している。

「苦」見るとはこう言うことだ。