諦めたらそこで試合終了なんて事はないよ

スラムダンク、安西先生の名言
諦めたらそこで試合終了だよ。

この言葉に影響受けた人は数多くいるのではないだろうか?
実際に僕もこの名言を何度も自分に言い聞かせ、諦めないよう努力した過去がある。

諦めたらそこで試合終了
正論だ。

試合の途中でもし諦めたら勝つことができない。
そこで試合終了になる。

ただ、この言葉は少しだけ重い。

あきらめることが悪いように感じる。
というのも、あきらめると言う言葉の本質は別のところにある事はご存知だろうか?

あきらめるは物事を明らかにすると言う側面も持っている。

例えば犬が人間になりたいと思ったところでその夢は叶わない。
犬は犬であり人間は人間。別の生き物。
そんなかなわない夢を掲げた犬に対して
諦めたらそこで試合終了だよとは言えない。
むしろ君は犬だから犬として生を全うすべきだと伝えてあげるべきだ。
つまりそれが明らかにすると言うこと。
犬が人間になることを諦める事は良い事なのだ。

僕も昨年、ある事を諦めた。
そのある事とは説明できないような漠然としたこと。
なんとなくすごい事をして、誰にも構わず認められたいと思っていた。
上京してから約15年間、何かわからない焦りと不安にずっと襲われ続けていた。その何かわからない恐怖を作り出したのは自分自身なわけで、ずっとあきらめられないでいた。
約10年間自分自身と向き合い続けた結果、ようやく諦めることができた。
この何かわからない焦りと不安はとても恐ろしい。
まるで寄生虫のような感じだ。
本当の自分の声を閉して、なんかよくわからない焦りと不安のために誰かもわからない人の話を聞いて1番近道時計を探し続ける。
どうにか楽をして最短距離で目的のない道をずっと彷徨う。
右に行ったり左に行ったり前に行ったり後に行ったり自分がどこまで進んでいるのかどんな道を歩いているのかもわからない。
誰のために?自分のためなのかもわからない。

仕事で言えばペルソナもコンセプトも何もない状態でビジネスをしてるようなものだ。
とりあえずやっている。
一番恐ろしい状態だと思う。

不安な人、焦っている人たくさん見かける。
そんな人に僕が言える事。
まず、肩の力が張っている自分自身に気づいてみて欲しい。肩が上がっている状態だ。
生物が何か危機的な状態になると、周りを警戒する。
犬であれば歯をむき出しにする。猫なら尻尾を垂直にあげる。
人は肩が上がる。
ずっと警戒状態でいると心が疲れてしまう。まずはそんな自分に気づいて欲しい。

そして自分が何に追われているかをゆっくり見極めて。

諦めて欲しい。

諦めたらそこからが自分の人生だと思う。