この世のありとあらゆるものは川の流れのように常に変化し、変わり続けている。
スマホやパソコンは、新しいOSや機種が発売されると買い換える。
家はいつか老朽化し、解体される。
水は固体、液体、気体と姿を変え、場所を移動し続けている。
人の細胞も分裂を繰り返し、いつか死を迎える。
手長ロボも例外ではない。
昨日まで、そこに居たはずなのに、居なくなってしまう事だってある。
先日、いつものように近所を歩いていたら、景色が少しだけ変わっている事に気づいた。
そう、ここは手長ロボNo.36 亀澤カリー号が居た亀沢保育園仮園舎。
▼以前の亀沢保育園仮園舎があった頃の写真
▼現在の様子
以前までここに居た、亀澤カリー号はもう居ない。
僕が彼を見つけたのは2018年4月14日、そして今は10月1日。
たった4ヶ月で居なくなってしまう、おそらく見ることはもうできないだろう。
なんとも言えぬ不思議な感情になった。
そこでふと浮かんできた諸行無常。
もう出会うことのできない悲しみ、これからの出会いへの感謝と期待。
常に変化し続け、線と線が交わる瞬間、それが縁
まるで篠田桃紅の作品のようだ。
手長ロボと仏教と篠田桃紅が繋がった瞬間でもあった。
これが現在進行中の僕の人生という訳だ。
亀澤カリー号ありがとう。
僕は君のことを忘れない。
また、一つ手長ロボから教わった。