感情を意識する

感情を意識できるようになると、対人関係のトラブルやストレスがなくなり生きやすくなる。

感情を出すことと感情を隠すこと、どちらが良いのか?
もちろん時と場合による。

強いて言うなら
ポジティブな感情は出して
ネガティブな感情は極力隠すと良いだろう
もちろんネガティブな感情をぶつけ合うことで生まれるモノもあるので、一概には言えない。

感情を隠すというより、感情を抑える方法を知っていると楽になれる。

無理に感情を抑え続けるとストレスが溜まり自分で自分を責めることになる。

感情との向き合い方は難しい。

よく、感情を失った人の話を聞くが、少しは理解できる。
社会人になってサラリーマンになって無心で働いていると自分が何が嬉しくて何が悲しくてどんなことが辛くてむかついて怒っているのか分からなくなる。
つまり感情がわからなくなる。

先の記事でも書いた素直力と同様で、大人になればなるほど感情がわからなくなるのかもしれない。
自分を隠し続けて自分が何だか分からなくなっている状態。
これほど辛いものはない、自分を自分として認められないことがどれだけ辛いか。

実際に僕もそうだった、人とコミニケーションが取れないほど重症化してないが、人と会っていると肩の力が入って無理して疲れる。
何かわからない焦りと不安が常に押し寄せて、何か大きなことを成し遂げて、誰でもいいから認めてもらおうとしていた。
本当に認めてもらいたいのは自分と親なのだと思う。

今の僕は感情に囚われることが無くなった。
約20年間戦い続けてきた焦りと不安から解放された。
ずっと何だかわからない重いものを持っていた。

韓国映画のパラサイト半地下の家族のギウが大切に抱きしめていた抽象柄の何かわからない大きな石。
ギウはこれがないと寝れないと言っていた、僕にはその意味がよくわかる、何だかわからないけど大切にしているもの。
若い頃はどこへでも持って行けたけど、歳をとって筋力が落ちてきてようやくその石の重さに気づく。

なんだ?この重くてよくわからない大きい石は?
捨てたいけど捨てられない、この石を捨ててしまうと自分が自分でなくなってしまうような。

昨年僕はその石を捨てた。
そのとてつもなく大きく、何だかわからない石を捨てた。
今は身軽で軽くて そのとてつもなく大きく、何だかわからない石を捨てたことで逆にどこでも出るような気がしている。
今は身軽で心も落ち着いている。

どのように捨てるのか?

それは自分の感情を意識し続けることだ。

自分が笑った時や怒っている時に自分を俯瞰して見る。
まるで他人が自分を見ているかのように見る。

この人なんで笑ってるんだろう?なんで怒っているの?

これをひたすら繰り返す。

最低3ヶ月は続ける。
次第に自分の感情に慣れて、なぜ自分が笑っているのかなぜ自分が怒っているのか冷静に理解できるようになる。

自分の感情を理解できるようになると、自分の輪郭が見えてくる。
同時に何かよくわからない抽象的な意思は消えていく。

今は何かよくわからない不安もなければ、明確に輝く目標もない。
あなたは今何をしたいのかと聞かれるといまだに頭の中に?が浮かび上がるが、何かよくわからない石の事は話さなくなった。

少しずつ見えてきている、そんな今の状態も悪くないと思えてきている。