お釈迦様の誕生、花まつりに行って誕生仏を見たかっただけなのに。

天上天下唯我独尊

これまで僕は、約30年間も12月25日のイエス・キリストの降誕を祝い続けてきました。
クリスマスはプレゼントを買ってもらえるし、美味しいご飯も食べられる。
僕だけでなく、日本人にとって12月25日は特別な日であり、みんなこの日を楽しみにしています。

でも、なぜ仏教に馴染み深い日本人がイエス・キリストの降誕を祝うのに
お釈迦様の誕生はシカトなのだろうか?
そんな疑問を持った僕は、今から約3年前、2015年4月8日。
人生で初めて、お釈迦様の誕生日をお祝いする予定でした。

予定でした。

と言うのは、結果的に祝うことが出来なかったのです。

お釈迦様の誕生日である花まつりは、その日だけ誕生仏(釈迦誕生像)を安置していて
柄杓で誕生仏の頭からお茶をかけるというメインイベントもあるようで、地味ですが人生で初めてのお祝いを楽しみにしていました。
8日は平日だったので、いつもより早めに仕事を切り上げて、近くのお寺へ
しかしお寺はいつも通り。
僕は慌ててネットで検索し、お釈迦様の誕生日を祝う花まつりが開催されているお寺を調べて直行。
しかし、時すでに遅し。
誕生仏の安置は17時30分で終了だったのです。

これが僕の人生初の花まつりでした。

なんとも言えぬ感情のまま帰宅した僕は、来年は自分で花まつりを開催してしまえばいい。
そう決意し、自分の手で誕生仏(釈迦誕生像)を彫る事に。
木と彫刻刀を購入し、毎朝少しだけ早く会社に行って誕生仏を彫りました。

しかし、仏彫初心者で独学だったのでなかなか思ったとおりで彫る事ができず。
気づくと自分の雑念が入り混じった形に。

誕生仏
男性のあれを彷彿させる。

自分の心を見透かされている事に恥じらいを感じ、形はより抽象的に。
最後は無理やり指の形に軌道修正し、言い訳を作って終了。

誕生仏を自分で作る事を諦めた私は、翌年の花まつりをシカトしてしまいました。

僕はただお釈迦様の誕生日を祝いたかっただけなのに。