怒りについて

怒り

以前、起業家の家入一真さんがこんなツイートをしていた。

僕の怒りは、自己責任の名のもとに逃げることも許さず追い詰める社会、そしてその挙句に死を選ぶ子たちに「人生は一度きり」なんて薄っぺらい言葉を投げかける大人たちにある。

その後、家入さんはこう続けた。

皆さんの、今の社会における「怒り」を教えてください。

家入さん曰く、起業家や何かを表現したい人は自分のなかにあるコンプレックスや怒りを見つけ出して、その熱に触れ続けないといけないらしい。

僕の怒りってなんだろう?

正直ちょっと焦った。
なぜなら僕はあまり怒りを感じないからだ。
子供の頃から親の顔色ばかりを気にして、今社会人になっても上司や同僚、家族の顔色を見続けている。
人の顔色を見て行動すれば、相手を怒らせなくてすむ、要するに人と争う確率を下げる事ができる。
そして、自分が怒ると相手を怒らせることになるので、自分の怒りも封じる。
そんな事をずっとしてると、自分の怒りがなんなのか分からなくなる。

結局、その時は自分の怒りやコンプレックスは特定できなかった。

それ以降、日常における自分の怒りに敏感になった。
家庭内の怒り、会社での怒り、街や生活、ニュース。小さな自分の怒りを観察した。

すると、徐々に自分の怒りの輪郭が見えてきた。

実際に僕が怒りを感じた場面はこんな感じだった。
・定年を過ぎて再雇用された方が雑務をしている時
・情熱を持っている若者が権力によって押しつぶされている時
・コミュニケーションが得意な人が人と関わらない仕事している時

要は、人の才能が生かされていない

人が生かされていない

そんな時

僕は怒っていた

最初は、人を生かすことのできない上の人に対して怒りを感じていたのだが
人が生きる事を人に任せるのも違うな、と思うようになり
自分を生かせないのは自分の責任だけど、なぜみんな自分を生かせていないのか?人を生かせていないのか?

怒りの矛先は徐々に変化し、最終的にはそんな状況や世の中に対して怒りを感じるようになった。

これが、今の社会における僕の「怒り」なのかもしれない。

人がイキイキと生きる社会。

皆さんの、今の社会における「怒り」も教えてください。