僕は怒っている人が苦手ですし大嫌いです。
怒っている人が近くにいると、僕の頭の中はパニックになります。思考停止って言うやつです。
さらに厄介なのは、相手が怒っていると勘違いして勝手にパニックになります。
表情や声のトーンで相手の感情を先読みし、怒り成分がないかを常に判定しています。
この作業はとても疲れます、なので人と接するのが嫌いなのでしょう。
この、怒り判定作業は人の顔色を伺う作業とも言えます。
たとえ怒りが、自分に向いていなくてもゾッとします。
今、電車に乗りながら文章を書いていますが、目の前を通過したおじさんが舌打ちをして怒っていました。
大きなバックを抱えた若者に対して舌打ちしたのですが、僕もドキッとしました。
このような小さな怒りにも反応してしまうほど、怒りに対して怯えているのです。
もちろん、怒りの矛先が自分に向いている時が一番辛いです。なるべく怒られないように立ち回っていますが、無意識の怒りも感じれるほど察知能力が上がってしまったので、心のコントロールが大変です。
みんな怒ってます。
表面上は普通ですが、心の中では怒ってます。
正確に言えば、怒っている時もあります。
むしろ、怒っている事も自然であると言えます。
たまに、自由に楽に生きている人を見かけますが、とても幸せそうです。
僕が苦手なのは、常に怒っている人か強い心的抑圧を与える人です。
常に怒っている人は、常に怯えています。
怯えた犬を想像してみてください、歯をむき出しにして、ずっと吠えています。
なので常に怒っている人が見ている世界は絶望的です。世の中全ての人が敵に見えているのです。
手を差し伸べられても、ナイフに見えてしまいます。
常に怒っている人の対処法は距離を置くか、心の拠り所になってあげると良いと思います。
後者は困難な道です。
自分自身の心が削られる可能性が高いです。
一方
強い心的抑圧を与える怒りは、人を支配する目的で使われます。
怒りで相手を支配し、行動を促すのです。
人を支配することが目的なので、支配される側は辛いです。
僕は支配されやすいタイプだったらしく、よく支配されてました。
結果、勉強になった事もたくさんありました。
支配する側も意図している場合としていない場合があります。
意図して支配してくれる場合は、むしろ有り難です。
なぜなら、すぐにフォローしてくれるからです。
飴と鞭ってやつです。
能力が低かったり未熟な場合は一定の支配が必要だったりします、そんな人には強制と緩和が絶妙に上手人に支配される事をオススメします。
自分の成長を感じれるようになります。
最悪なのは意図しない場合です。
相手のことを一切考えず、人的抑圧をあたえる人です。
この場合は直ちに逃げる事をオススメします。
大きな衝撃か長期にわたる改善をしない限りその人は変わりません。
このように怒りにはいろんなタイプが存在し、対処方法も異なります。
怒りで苦しむ人の気持ちはよくわかります。
僕も現在進行形で改善中です。
頑張りましょう。