2021年のバレンタインは最高だった。
コロナで緊急事態宣誓中なので、自宅勤務。
つまり、義理チョコを貰わなくて済んだ。
義理チョコが嫌いなわけではない、もらった時は嬉しいし、配っている女性にもリスペクトはある。
僕が嫌いなのは、空気た。
僕は見聞色が強い。
つまり、人目を気にしすぎる。
つまり、疲れる。
社会人になってからは少し楽になった気がする。
みんな社会性があるのでうまい具合に空気を読みながらチョコを配ってくれる。
そこには平等がある。
全員同じパッケージで同じサイズのチョコが同じように机の上に置いてある。
実に平等だ。
リアクションも最小限で済む。
社会人になってからは女性の方が大変な気がする、仲間内でまとめて処理するのであれば良いが、個々の判断の場合、配る人と配らない人に分かれる。
実際はどちらでも良いのだが、見聞色が強いととても気になる。
一人の女性がチョコを配り始めると、ここぞとばかりにみんなが配り始める。
そんな中チョコを配らない女性もいる。
見聞色の強い僕はソワソワする。
忘れたのか?お金がないのか?大丈夫か?
突っ込んであげた方が良いのか?
考えすぎかも知れないが、バレンタインデーとはそれほどまでに空気が張り詰める1日なのだ。
先程も言ったように、社会人はまだ楽だ。
最悪なのは学生だ。
僕は学生時代バレンタインデーが大嫌いだった。
仮病で休んだ事もある。
本当に具合が悪くなった時もある。
そんな時は逆に意識していると思われたくなくて、無理して登校した。
もう逆の逆で何が何だかわからない。
なぜ、バレンタインデーが嫌いなのか?
それは、恥ずかしいからだ。
チョコを貰うところを見られるのが恥ずかしい。
下駄箱にチョコが入っていて、カバン隠すのが恥ずかしいのだ。
と言ってみたものの、そんな経験は少ない。
シンプルにモテなかった。
それが一番の原因かも知れない。
学生の頃は男性の方が地獄だ。
もっと具体的に言うと、モテない男性は地獄だ。
バレンタインデーの日、イケてる友達と帰宅。
話題はチョコを何個貰ったか。
4コ、2コ、3コ、1コ、5コ
僕は0
貰っていない。
当時は笑いにする技術もなかったので、雪を少しだけ強めに握って投げていた。
今思い返しても地獄だ。
それに比べ、今年は最高だった。
妻の手作りクッキーと母の名物チーズケーキだけ。
美味しかった。
何も気にせず、無理せずバレンタインが通り過ぎていった。