プライドはいらない、本当にいらない。
正確に言うと。
悪いプライドがいらない。
良いプライドは欲しい。
良いプライドとは、キムタクのドラマ的な事である。
言い換えると「誇り」かもしれない。
良いプライドを持ち、胸を張って生きる事が理想だ。
悪いプライドは今すぐ捨てたいが、身体にしみついていて取れない。
さらに、悪いプライドは見ない。
有るのか無いのかもわからない。
その状態が一番危険だと思っている。
悪いプライドは些細な出来事も大事に変換し、勝手に自分を傷つける。
悪いプライドは壁となり、先に進めなくなる。
先日子供にトイカメラをプレゼントした、オモチャだけどなかなか性能が良く驚いている。
子供は楽しそうにシャッターを切る。
周りを気にせず自分が興味あるもの全て撮影する。
そんな姿をみて羨ましいと思った。
僕も常に首からカメラをぶら下げているがほとんど撮影しない。アクセサリー化している。
別にオシャレだと思っているわけではない。
本当に撮影したいと思っている。
では、何故シャターを切らないのか?
それはプライドが邪魔しているからである。
心が躍る景色が少なくなっている事も要因の一つだか。
例えば、道のど真ん中で人を撮りたいと思っても、悪いプライドが邪魔をする。
怒られるかも、、と思ってしまう。
怒られてプライドを傷つけたく無い。
実に厄介だ、、
歳を重ねるほど、悪いプライドが成長している気がする。
どうにか無くしていきたい。
プライドブームを起こそうか。
プライドポテトを作ろうか。